さよなら三角は四角になれない

もう推しを降りるので、通った時間と書いた手紙とあげたプレと推しのために割いた全ての時間と思考の供養のために。




9月中旬、一番楽しみにしていた舞台がおわった。その舞台は音楽ゲーム原作で、舞台と言うよりはどちらかというとミュージカルで、ライブで、とにかく楽しい作品だった。

去年の5月、その舞台の音楽シーンだけを凝縮させたライブが行われた。(ここまで言うと分かる人はなんの作品だかわかると思うが)私はそこで初めて推しに出会った。もともと別の若手俳優Aを推していたから、それ目当てで行った現場だったけど、Aはその作品に対してあまりやる気がないように見えて、だから私のモチベもとても低かった。しかもそのライブ、3日間で6公演と言えば普通だが、初日1公演、2日目2公演、3日目3公演という謎なスケジュールなうえに1人の俳優が3日目に出演できないということで3日目だけストーリーを変えるというオモシロ演出だった。

Aを推していた時の私は弱小キッズオタクであり(今もだが)、全通なんてとんでもない1.2公演入れれば満足な、どちらかというと茶の間寄りのオタクだった。だから5月のライブの時も、まあ別演出なら1日1公演ずつ入ればいいかな、くらいのモチベだったのである。
初日2日目は、なんとなくAのオタクをしつつ他の演者にも、もちろん今の推しにもペンライトを振りまき、それなりに楽しんだ。モチベは当初より格段に上がり、千秋楽を迎えるのが寂しいとさえ思っていた。
迎えた3日目、1公演目に入った私は今までなんとも思っていなかった推しの演技を見て、体に電撃が走ったような気がした。もともと感情移入しやすいタイプなのですぐ泣くのだが、仲間への思いとか、音楽に対する愛とか、決して多くはない推しのセリフと演技に凝縮されているような気がして、その場で大号泣した。ライブが終わったあと、慌てて泣きながらお手紙を書いてプレボに突っ込み、千秋楽でも同じセリフを吐く推しを見てまた大号泣し、その日は友達に慰められながら帰路についた。

1日経っても2日経っても、一週間経ってもライブが頭から離れなかった。あのライブの演出と推しの演技は、間違いなく私の心を掴んで話さなかった。かくして私は、その作品の虜になり、それと同時にぬるっと本当にぬるっとAを降りて推しのオタクになった。

そこからは早かった。
同年10月にはその作品の本公演が控えていたのだけど、気づいたら手元には全公演のチケットが握られていた。
初めての全通だった。楽しかった。本当の本当に楽しかった。推しは決してセリフ量が多いわけでもないし、ライブ中のファンサがあるわけでもない。
出番は多くないけれど、推しの姿が見れることがただただ嬉しくて、初日から毎公演手紙を出した。公演も半ばを迎えた頃、アドリブシーンをこうしたらどうかとただ一文だけ書いてみた。次の公演でそのアドリブをやってくれた。ドキドキが止まらなかった。ちゃんと手紙を読んでくれているのもわかったし、気持ちが伝わっていることが、応援がきちんと伝わっていることがわかった。もっともっと大好きになった。

その舞台が千秋楽を迎えたあと、1ヶ月後くらいに以前共演した俳優さんが主催を務める演劇ユニットの日替わりゲストに呼ばれた。最前列と舞台の間は僅か10センチ程度しかない劇場とはおよそ言い難いくらいとてもとても小さい箱だった。『若手』という文字が付かないベテランの俳優たちの間で、私の推しはたどたどしいけれど一生懸命演技しているように見えた。出番はすごく少ないけれど、2.5次元ではない、推しが1から考えた生身の人間を演じている姿が見れて、とても嬉しかった。
終演後に直接話す機会があった。小さい劇団だからこそだと思う。そこで直接手紙とプレゼントを渡し、初めてキャラクターに扮していない推しと言葉を交わした。私がなにかイベントをして欲しい、と言うと、やりたいけれどもっと頑張らないとなんだ、と言われた。確かに推しの知名度はまだまだだ。私だってAと共演していなければ、多分一生知らないままだっただろう。だから、私も頑張りますと返した。この人が大きくなるところを一緒に見たいと強く思った。

それ以降の現場は全て通った。
推しの演技は正直下手くそだ。アドリブ力もないし、よく噛む。コメント力もないからカテコのときは常に道徳の授業みたいなコメントだし、多分先輩と絡むのも苦手だ。
それでも毎日欠かさず更新してくれるブログ、多分Twitterで書いても文字数が余るくらい量の少ないブログだけど、『見に来た人を後悔させないように』とか『熱く演じ切る』とか、推しが紡いでくれるかっこいい言葉が大好きだった。紛れもなく、私は、心の底から彼のことが大好きだった。

今年の9月に再演された、私の原点とも言える舞台は大盛況のうちに幕を閉じた。東京と大阪を駆け抜けて、私は今までにないくらい感動していた。推しが、去年の10月の本公演とは比べ物にならないくらい成長していたからだ。現場が無い期間も相当数あったし、初日が明けてTwitterで推しの名前を検索するとすると推しの演技がボロクソに書かれていたことも沢山あった。でもそれは無駄じゃなかった。この人はすごく成長している。もっともっと大きくなる。絶対についてく。強く強く思った。応援することが本当に楽しかった。

応援を初めて1年が経った。私の推しは、板の上の推ししか直接見た事がないから本当のところは知らないけれど、普段からそんなにかっこいいことを言えてしまうような器用な人ではなくて、常に誰かに譲ってしまうようなとても素直で優しい人なんだと思う。
だからこそニコ生で、料理をしている時が1番楽しいなんて言ってしまうし、ブログでパンケーキを食べた報告なんてしてしまうんだと思う。俳優を職業としているのなら演技が一番好きだと言って欲しいし、パンケーキは男が1人で食べに行ったりしない。30歳で犬を買うことが目標だなんて言わないし、友達の結婚式に参加して新郎新婦の写真を顔も隠さずに載せたりなんかしない。

推しのことが大好きで、今日1日どんなふうに過ごしていたのかを知りたいはずなのに、ブログを見るのが毎日怖い。タイトルを見て、本文を読んで、ガッカリする自分を想像するのがたまらなく悲しい。推しが一番大好きなのに、私が一番苦しいのが推しのことを考えるときなのがたまらなく辛い。
俳優としての自覚をもう少し持って欲しいと思いながらも、9月のときに目にした彼の成長は嘘じゃないと信じていたからどんなにしんどくても、彼のオタクでいられた。

9月の公演でおそらく新規が何人かついた。彼女らは町しているらしい。そして私の推しはどうやら町対応がいいらしい。そんなこと知らなかった。私は町をしたことがないから。それはルール違反で、外道なことで、そんなことをしても彼のためにならないから。なんて綺麗事言いつつ、本当は私の知らない彼を知っている彼女達が羨ましかった。だから推しには、町に対して厳しくいて欲しかった。まあ彼は優しいからきっと無理なのは100も承知なんだけど。寧ろ感謝すら覚えてるかもしれないのだけれど。

ついこの間、出演舞台の小さなトークイベントがあった。無料のイベントだった。現場に行くと、全く知らない同担がたくさんいた。推しのコメントは相変わらずぽんこつで、相変わらずいいことを言おう言おうと空回りしていた。私はとても恥ずかしかった。だけどそれを見ている彼女たちはみんなすごく楽しそうだった。彼女たちが推しに手を振ると、推しも振り返していた。私は推しに手を振ることが出来なかった。ただ彼女たちに対する羨ましさと、嫉妬と、推しに気づいてもらいたい醜い欲望がぐるぐるしていて、気付いたら涙が溢れていた。自分のことが心底気持ち悪いと思った。

初めて手紙もプレも出さない現場だった。イベントを終えた夜、推しのブログが更新された。

『遠いところからありがとう。今日を楽しみにしてくれて、お手紙をくれて、好きになったきっかけを教えてくれてありがとう』

普段現場で見かけたこともないのに、無料イベントには湧いてきた同担が鬱陶しくて、彼女らに感謝の言葉を伝える推しに心底腹が立った。

こんなにしてるのに、どうして報われないんだろう。
気付いたらそんなことを考えている自分が大嫌いだった。私はただ彼に自分の応援を押し付けて、彼は優しいからそれを受け止めてくれていただけで、本当は何も考えていなかったのかもしれない。推しのことが分からなくなった。彼がどんな役者を目指しているのか、そもそももっと上に行きたいのか、なにを信じて応援したらいいのか分からなくなった。なにかが折れてしまった気がした。



彼のことに盲目的になれたらどんなに楽だろう。

どうして楽しかったはずなのにこんなに苦しくなってしまったんだろう。

私はもう広大くんのことを推せない。